伽藍の堂

読書の記録が中心です。たまに音楽や映画などの話も書きます。

『死んでしまう系のぼくらに』読了

 

死んでしまう系のぼくらに

死んでしまう系のぼくらに

 

  私は、詩の表現が苦手だ。学生時代も国語の塾講師をしていた時もその苦手さは変わらない。だいたい、教科書に掲載されているものなんて自然の素晴らしさや家族愛などがテーマである。恋愛の詩があってもクリーンに「恋しい」というだけだ。なぜなら、国語は道徳教育であるからだ。私には全くわからない。

 

 さて、本題である。最果タヒの詩集の『死んでしまう系のぼくらに』を読了した。荻上チキとの対談(ラジオ番組)で本人も言っていたことであるが、「みんなはどう感じるか」を考えて作ったものであるようだ。つまり、自分の投影や自分の感じ方をそのまま詩にしたものではない。

 

 では、凡庸で無個性なのか、というと違う。確かに「さみしさ」「好き」

「きらい」と言葉そのものはかなりストレートである。複雑な比喩表現などはない。しかし、詩の全体を読むとかなり複雑な込み入った気持ちが上手く表現されている。

 いや、もう少し正確な言い方をしよう。詩の全体を通じて、「こうとしか言えないな」という感じを受ける。また、登場する物もかなり一般的なものが多く、抽象的、匿名的な印象を与える。そうした漠然としたオブジェがつながって、まるで自分の心を鏡に映したような読後感がある。

私のお気に入りは

美しい人がいると、ぼくが汚く見えるから、
きみにも汚れてほしいと思う感情が、恋だとききました
人が死んだニュース 飛んでいく蚊
愛について語る人間は、なにか言い訳がしたくて仕方がないだけ。
死ねっていう声を、録音させてください

 

「カセットテープの詩」最果タヒ 

もう一つ

 "きみにとって大切な本がだれかに燃料にされる夜
光が空にのぼっていって、夜の闇に飲まれる時間
おめでとう きみは幸福かどうかなんかより
考えなくちゃいけないことがたくさんある 眠気や食欲、性欲について
ぼくらに、知性などない
ただの獣でしかない夜は、ひどいさみしさが落ちてくる
  

「図書館の詩」最果タヒ