『ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか』読了
ぼくはいかにしてキリスト教徒になったか (光文社古典新訳文庫)
- 作者: 内村鑑三,河野純治
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2015/03/12
- メディア: 文庫
- この商品を含むブログ (3件) を見る
余は如何にして基督信徒となりし乎 (岩波文庫 青 119-2)
- 作者: 内村鑑三,鈴木俊郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1958/12/20
- メディア: 文庫
- 購入: 3人 クリック: 34回
- この商品を含むブログ (23件) を見る
光文社古典新訳文庫のポップな表紙とタイトルに魅かれて購入する。
岩波文庫だったら絶対に買わない(笑)
私は、クリスチャンではない。宗教学については全くの門外漢である。
そもそも、内村鑑三なんて高校の日本史で「内村鑑三不敬事件」の一行ぐらいしか知らない。
しかし、この本は面白く読むことができた。聖人のありがたい話ではなく、様々な逡巡やためらいなどの感情が生々しく描かれているからだ。札幌農学校つまり、今の北海道大学時代の話などは青春学園ものである。
考え方がどんどん変化するところが面白い。最初は、キリスト教徒なんて絶対にならない、と頑なに拒んでいたこと。神秘主義に憧れていたが違和感を持ったこと。学問、生活、内省を通して思考が様々なに変化する。思索や論争にあけくれる時もあれば、目の前の人間を助けることが必要だ、といった具合である。
特に面白いところは、アメリカ留学の話である。キリスト教の本場であるアメリカに渡る。しかし、現実のアメリカは人種差別や拝金主義を目の当たりにして失望と挫折をする。
さらに、ニューイングランドに渡り、生活が困窮する。この時は、自信を失っている。
ぼくには信仰がない。だからぼくに信仰を与えたまえ。あなたは善そのものであり、あなたがいなければ僕は暗黒そのものになる。見よ。僕の汚らわしさを。そして、僕の罪を浄めたまえ。
信仰や神、といった言葉が頻繁に出てくるので、すこし馴染みにくいかもしれない。しかし、芸術や学問など一つの道を探求すること、と少し広げてみる。すなわち、求道者の手記として読むと非常に面白いと思う。