伽藍の堂

読書の記録が中心です。たまに音楽や映画などの話も書きます。

『アメリカの大学・ニッポンの大学』読了

著者は苅谷剛彦である。

タイトル通り、アメリカと日本の大学を比較して論じている。            、

著者は実際にアメリカのノースウェスタン大学で教鞭をとっていた
体験も含めて論じている。風評や印象論でないところはさすがだと思う。

さて、本書で取り上げているトピックはTA、シラバス、進路などである。

 アメリカの大学においては、TA(ティーチングアシスタント)とは
大学院生が学部の学生を教えることである。つまり、教務全般である。
奨学金やアルバイト料などのメリットもあるが、教務の全般は負担が大きい。

 それに対し、日本の大学の場合、同じTAという言葉を使っていても、事務
処理の手伝いであることが多いという。おそらく、院生が学部の学生の世話や
サポートをすることは研究室単位ではあっても、教壇に立つとまでは珍しい。

 シラバスの違いも面白い。日本に比べて、アメリカの場合、シラバスや予習に
対しての指示がきめ細かい。日本では、通年やセメスターであり、週1回の講義
を前提としている。しかし、アメリカの場合は、クオーター制度などにより週に
2回などが前提であり、短期集中型である。

 この辺はの制度の差は大きいだろう。塾講師のアルバイトをしていた時も半年
も先の計画なんてまるで立てられない。第一、宿題をやる相手かどのくらいの理
解力かで全く変わるし。そうするとやや玉虫色の漠然とした授業計画にならざる
を得なくなる。綿密に立てると破たんした時に説明つかなくなる。


 もう一つ興味深い点はトラッキングというものである。アメリカの高校生には
進学、職業、一般という大きくわけて三つの道のようなものがあると言われてい
る。しかし、日本と異なり〇〇進学コースや〇〇科などと言った明確な区分では
ない。そもそも、自分がどのトラックに位置しているのかをアメリカの多くの高
校生は認識していないという点は興味深い。

 日本の場合、学力レベルの差はあれ、どの高校を卒業しても大学受験をするこ
とはできる。私立文系から医学部受験をすることも可能だ。(合格までの道のり
は理系コースに比べれば遠回りになるだろうが)
しかし、アメリカの場合、どんな科目を履修したかによってどんな大学を受験で
きるか限定されてしまうのである。もちろん、入った学校で終わりではなく、そ
の後の編入試験などもアメリカにはある。しかし、実際は困難であり、試行錯誤
の結果、高すぎる夢をあきらめる構造になっている。これをクーリングダウンと
呼ぶ。


 日本の場合、一般受験を前提とした場合、偏差値やセンター試験の結果で輪切
りにされる。これに対しては、様々な批判がなされてきた。しかし、全くなくな
った場合を想像できるだろうか?自分が高校生で、日本全国に700校ある大学
から自分が勉強していること、勉強したいことを選び、説明できるようにする。
当然、まだ勉強していないことについて語るので、全く見当はずれなことをして
いるかもしれない。

 おそらく、日本の場合、これに近いのが「就活」と呼ばれる現象なんだろうな。
高学力層を優遇や限定するところももちろんあるだろう。
しかし、必ずしもそうでないところもある。
そうした客観的な全国学力テストのような自分の位置を知るモノサシがない場合、
自分でマッチングを考えることは困難を極めるだろう。

 などというとりとめのない雑感を抱いた。私の場合、就職はしたがいわゆる
「就活」もしくは「シューカツ」みたいなものは経験していないので
よくわからないんだけどな。

成人式といい、シューカツといいイニシエーションをことごとく経験しなかったが
何とか生きています。