『アルジャーノンに花束を』読了
- 作者: ダニエルキイス,Daniel Keyes,小尾芙佐
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1999/10
- メディア: 文庫
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この本を読むのは三回目である。一度目は中学一年生の時だ。二度目は大学生の時に知的障害者の施設でボランティアを始めた時である。そして今回が三度目である。今の私は主人公のチャーリィと同じ年齢だ。
中学生の時読んだ感想はよく覚えている。知能が高い、頭が良い、それならば色々なことがわかるはずなのに、なぜ不幸になるのだろう。なぜ苦しむのだろう。わかれば不安は消えるのではないのか。という腑に落ちないものだった。
当時から読書が好きだった。知的好奇心が旺盛だったのではない。わからないことばかりで怯えていたのだ。一つ一つ、恐怖を明確にできれば苦しみから解放されると思っていた。つまり、ストーリーを理解するには経験が足りなかった。
二度目は学生時代の時だ。これは、読み方を絞った。知的障害者が「一人の人間として扱われたい」という気持ちを抱いている、というところに焦点を当てて読んだ。施設の話、セラピストの話、パン工場で働くことの意義などを考えた。
まともな感情や分別を持っている人々が、生まれつき手足や目の不自由な連中をからかったりはしない人々が、生まれつき知能の低い人間を平気で虐待するのはまことに奇妙である。
虐待とまではいかないが、ボランティアをしていると嘲笑される場面に遭遇した。
三度目は現在である。働くことや周囲の人間とうまくやることの大切さがわかる。私は、もちろん天才ではない。優秀でもない。しかし、子どもの頃から疑問と恐怖で混乱していた。それゆえ、必死に理論武装しようした。だが、それが他人からも自分からも疎外される結果となった。そのことがよくわかるようになった。
人間関係の排除へと向かう心というものは、暴力と苦痛にしかつながらないということを
ホントにね。この一行を理解するのに20年近くの歳月を費やしてしまった。
前半、知能が急速に発達するチャーリーとアリスとの会話の場面である。
何気ない言葉であるが、今読むととても深く響く場面である。
「ただただ神様に祈っているの」と彼女は小声で言った。「あなたが傷つかないように」