『最終講義 生き延びるための7講』内田樹 読了
下流志向〈学ばない子どもたち 働かない若者たち〉 (講談社文庫)
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2009/07/15
- メディア: 文庫
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内田樹が長年勤めた神戸女学院大学退官の際の「最終講義」を含講演集である。建築、教育、学問など内田樹が関心を持っていたテーマについての集大成とも言える。持論は変わらないので、メッセージ自体はブログや他の著作と大幅に被る。しかし、講演という言わばライブでなされたものなので細かいエピソードが面白い。
私が、彼の持論の中で最も面白いと思うものは『教育に等価交換はいらない』というものである。『下流志向』などでも挙げられているが、教育はサービス業ではない、教育をビジネスの論理で捉えてはならない、というものである。
もちろん、様々な批判や異論などもあるだろう。しかし、私は、自分の高校時代を思い出すと深く腑に落ちるのだ。
私が過ごした高校はとある私立の学校であり、教員も生徒に対しても非常に成果主義的であった。他校の成果やノルマ、すなわち、内外の生徒の進学実績や学習時間、成績などを細かく管理していた。そして、成果が上がるように学校全体で日夜努力していた、ように私には見えた。よく言われるのが「予備校みたいな学校」という評判である。
卒業してから10年以上経過した。その努力の成果はどうだろう。成果、すなわち、進学実績は格段に低下した。なぜならば、選ばれなくなったからである。最初に進学実績が低下した時「商品」としての価値が低下した。それに拍車がかかったのである。
それには、不景気による公立高校の復権などがある。簡単に言えば、コストパフォーマンスの良い別の「商品」に乗り換えられたのだ。安くて便利(通学の立地など)な商品を買うのは市場に置いて当然である。
別の言い方をすれば、「ここにしかない」「ここでしか学べない」というものが何もなかったのである。「予備校みたい」ならば予備校に行った方が安上がりである、と市場が判断した結果だ。数字による成果だけを追っていた場合、数字を並べると商品価値は一目両全である。ならば、他のものに簡単に乗り換えることができる。つまり、数字の結果を追及することは自らを唯一の物から代替可能なものへと変身させることである。
私は、個々人の成果を追求した結果、全体として凋落する、という事例を目の当たりにしたのである。皮肉なことに、自分の学校から唯一学んだことはこのことだけである。
以下は余談。
最初にも書いたけれど、持論自体は「いつもの話」である。でも、講演とうライブのためかぽろっと出てくる話がとにかく面白い。
全身硬直して運び込まれた女子高生を医者が治した話。何をしたか。「臨兵闘者 皆陣列在前」と九字を切ったというのである。
そんなアホな。
文字で読むとそう思う。
当然、科学としては反証可能性を欠いている。でも、現場とは「なんとかしなければならない」ものだ。で、「何とかしよう」と思ってやった結果、
何とかなったりする。あとで考えると「あり得ないこと」がまま「ありうる」のだ。こういうのが現場の魅力かなと思う。