『しんがりの思想』を読了
鷲田清一の新刊である。
内容はいつもの話である。専門家は不要である、
サービスの社会化が人とのつながりを弱くした。
などなど、少し過去の焼き回しである感じがする。
また、昔の文章と比べると文学的というか。きらっと
光る表現もすくない。
では、この本はつまらないのか。金の無駄か。
昔の著作のデッドコピーであるのか。
それは違う。私は、わざわざそうしたものは取り上げようとは思わない。
このこの本のメッセージである「リーダーシップはいらない」
という内容を著者が発信することに意味があると私は思うからだ。
内田樹はよく著作の中でセンチネル(歩哨)の役割をする人が必要である。と述べている。その役割とは、邪悪なるものをの侵入を拒むことである。だれかが引き受けいないといけないことである。とも述べている。
内田樹は、よく村上春樹を引用してこうしたセンチネルについて言及するのだが、私は伊坂幸太郎の著書にこうしたものを感じる。
このセンチネルと鷲田の述べる「しんがり」とは同じ意味であると思う。